大学の医局に属していると、論文というものを書くことが求められます。
論文にもいろいろありますが、若い頃は臨床で経験した珍しい症例を学会で発表して、それを論文にしたりします。大学院で博士号を取得するために動物や細胞を用いた基礎実験を行う人もいれば、臨床の疑問を解決すべく、患者さんの同意をえて検体をいただいて病気を早期に発見するための新しい指標を検討したり、新しい治療の効果を評価するための臨床研究をすることもあります。
最近は小児科専門医の資格をとるためには臨床経験だけではなく、論文を書いていることが必要になりました。実際に真剣に臨床に取り組んでいると、よく知られていない病気や助けられない命の多さに愕然とすることもしばしばです。
そして現在の医学は先人たちのそのような努力によって成り立っているということ、臨床と研究はきっても切り離せない関係だということを実感することになります。
論文が学術雑誌に掲載されるまで
論文は書いても誰にもみてもらえなければ意味がありません。どの分野の研究者でも同じとは思いますが、通常作成された論文はその分野の学術専門誌に投稿されます。
どの学術専門誌に投稿するかは自由ですが、一流誌になればなるほど競争率は高く、掲載不可(reject)となることが多くなります。
この掲載を許可するのか、不可とするのか、を決定する過程には通常査読システムというのがあり、編集委員がその分野の専門家に論文の評価を依頼して意見を求め、それに従った論文の修正を経て、掲載の採否が決められることになります。
学術雑誌の中には査読システムを経ないで論文が掲載されるような雑誌もあります。例えば研修医や若手医師向けの学術的な読み物として出版社から依頼されてその分野の専門家がお金をもらって原稿を書くような雑誌も多くあります。これはいわば商業誌であり、このような原稿の場合には、査読というものがないのが普通です。
編集委員の仕事とは?
僕は現在、Journal of DOHaDという国際学術専門誌の編集委員をしています。
新しい論文がこの雑誌に投稿されると、その一部が僕に割り当てられます。論文を読んでみて重大な問題がある場合は、その時点で「reject」となりますが、評価に値するレベルであれば、その分野の専門家をさがして査読の依頼をすることになります。
査読の依頼を受けた研究者は、依頼を承諾した場合には期限内に論文を評価する必要があり、「accept」「minor revision」「major revision」「reject」などの評価と、修正した方が良い点などに関してのコメントを準備することになります。
査読の期限は2週間くらいの場合が多いでしょうか…。基本的に査読すること自体は完全なるボランティアです。
特に英語論文の査読は、当然ながら英語でコメントすることになるので、日本人などで英語が得意でなければそれなりに大変な仕事になります。
実際に論文査読をお願いするような人は、その分野でそれなりに結果を残しているような人が多いので、そのような人はやはり多忙であることが多く、査読依頼を断られることもしばしばです。
編集委員はこのように割り当てられた投稿論文の査読の依頼をするだけではなく、実際には他の査読者の査読結果も踏まえて、自分自身が論文を批判的に吟味し、編集委員としての最終判断を下します。
今のところ僕自身が出した採否の提案を覆らされたことはないので、多くは編集委員の提案がその論文の採否につながるのではないかと思います。
論文査読にもある大きなメリット
論文査読は完全なるボランティア…とは言っても全くメリットがないわけではありません。
まず、その分野の最新の論文を誰よりも早く確認できるというのは、研究者にとって大きなメリットです。
また、論文を短時間で読んでそれを理解し、問題点を抽出する作業を否が応でもしなくてはならず、かなりの訓練になります。研究計画の立て方、研究実施の手法、論文の書き方などについても勉強する機会になりますし、論文が「reject」されることにはそれなりの理由があるということを、論文を投稿する側と査読する側の両方の立場から実感することができます。
これらは全て、自分のこれからの研究に生かすことができる貴重な経験です。
研究者同士で評価し合う査読システムは、論文の妥当性を担保するために必須のものですから、これは科学の発展、ひいてはどこかで臨床の問題を解決することにつながっていく大切な仕事なのです。
そう思いながら(半分自分に言い聞かせながら)、今日も余暇時間を利用して論文査読をしていますが、やっぱりしんどい時もあるというのが本音です。
でもまあどんな仕事だって辛いこともあるだろうし、締め切りに追われながらも、興味のあることをできて、それが世の中のためになっているのですから、贅沢は言えないのかなと思います。