MRSAという菌をご存知ですか?抗菌薬に耐性をもつ、いわゆる”耐性菌”として有名なこの菌は、しばしば未熟児などが入院するNICUでも問題になることがあります。本記事では、NICUで問題になるMRSAの諸事情について、新生児科医の立場で本音を述べたいと思います。
MRSAの一般的事項
MRSAはメチシリン耐性黄色ブドウ球菌のことで、すなわちメチシリンという抗菌薬が効かない黄色ブドウ球菌(つまり耐性菌のこと)です。MRSAはこのメチシリンという抗菌薬だけではなく、同系統の多くの抗菌薬に耐性をもっていることが普通であり、そこがやはり問題になります。
ただ、これはよく言われている事実なのですが、黄色ブドウ球菌自体は私たちの皮膚などに普通にいる常在菌ですので、この菌が検出されたから感染症を起こすということは普通ありません。子供でいえば、飛び火(伝染性膿痂疹)の原因となりますので時に感染症を起こすことは事実ですが、通常の皮膚であれば特に問題にはならない菌です(飛び火では掻きむしって皮膚のバリア機能が損なわれた部分に感染症を起こします)。MRSA は抗菌薬が効きにくいというだけで弱毒菌ですので、通常健康な人にとっては感染症を起こす菌ではないのです。
でも抗菌薬が効きにくいのなら、やはり感染症にかかってしまったら、大変なことになるのではないかと心配される方もいるでしょう。確かにMRSA感染症は厄介で時に免疫の弱い患者さんの治療においては難渋することがありますが、とは言っても効果のある抗菌薬が今はいくつもありますから、通常は治療可能な感染症です。
とくに健康な大人や子供がMRSAを保菌していても、まず問題になることはないと考えてよいでしょう。しかもあらかじめ保菌していることがわかっていれば、対応のしようがあるのですから、過剰な心配は無用です。
NICUとMRSA感染症
一方でNICUという場所は非常に特殊な場所であり、未熟児や手術後の赤ちゃんなど免疫機能が特に悪い重症児がしばしば入院するところです。
NICUでは、血管内にカテーテルを留置している赤ちゃんが多くいて、MRSAはこのような児にカテーテル感染症を起こすことがあります。また、手術後の赤ちゃんは皮膚の縫合を行うことが普通ですが、創部に感染症を起こして傷口が開いたり膿んだりすることがあります。さらに、頻度は多くはありませんが、壊死性気管炎という未熟児の病気があります。この病気は、長期間人工呼吸器管理を行っている児がMRSAが関連する気管の炎症が原因で、気管切開を必要とすることも多い大変重症なものです。皮膚感染症では、新生児科TSS様発疹症とか、稀ながらブドウ球菌性皮膚熱傷様症候群などがあります。
このような病気の多くは、MRSAだけでなく抗菌薬に耐性のない黄色ブドウ球菌全般に起こりうるものですし、しょっちゅう起こるような感染症ではないのですが、治療のうえでは抗菌薬が効きにくい分、やはりMRSA感染症は新生児科医にとっても嫌なものです。
特に、20週台で出生した未熟児の人工呼吸器管理中、カテーテル管理中や、手術後・手術予定の赤ちゃんにMRSAが検出されることは、やはり避けないところです。カテーテル感染症は敗血症を引き起こしますし、心臓手術後の術後感染症では縦隔炎などの重症な感染症につながる可能性があるからです。もちろんこれらの感染症はMRSAでなくとも重症なものなのですが…。
逆に未熟児だった赤ちゃんでも、退院前の哺乳訓練中でカテーテルが入っていないような児に感染症を起こすことはほぼ経験することではありません。
NICUでのMRSA感染予防
このように重症な感染症を起こしうる児が多く入院するNICU内で、MRSAが伝播することは極力避けなければなりません。
しかし生まれた赤ちゃんは本当に特別です。経膣分娩で出生する赤ちゃんは分娩時にお母さんの膣内、膣周囲の細菌に暴露されますので、その菌が赤ちゃんの常在菌になっていくことも多いのですが、帝王切開で生まれた赤ちゃんは無菌的に生まれつきますので、環境にいる菌が付着してそれが常在菌になる場合も多いのです。未熟児ではいろいろな感染症に罹患する機会も多く、抗菌薬を使うことも多いので耐性菌が生き残って、その赤ちゃんの常在菌になりやすくなります。
いったん常在菌として定着してしまうと、完全に除菌することはなかなか難しくなりますから、やはり保菌しないことが重要になります。
ただ一度NICU内でMRSA伝搬の”流行”が見られると、なかなか完全にそれを防ぐことができなくなります。MRSAは人を介して伝播するため、医療従事者を介した伝搬が問題となっていますが、重症児であればあるほど処置も多く、さわる機会が増えますので、伝搬のリスクも増えてしまいます。
理屈上はしっかり手洗いして、手袋やエプロンをしたら、伝搬するリスクは無くなるはずなのですが、実際はなかなか完全に防ぐことは難しいことがあります。ご家族だって出入りしますし、無菌室にいるわけではありませんから。あとは、日本の、特に東京など大都市のNICUは病棟が狭くて患者間の距離も狭い傾向にあるので、そのようなことも伝搬リスクに多大な影響があるのかなと思っています。
大きな病院には通常、感染管理室といってこのような事態に対応する部署が備わっています。通常、MRSA伝搬の流行が見られた場合は感染管理室と相談しながら状況の沈静化に努めます。必要に応じて保健所に届け出てアドバイスをもらったり、外部機関からの立入検査を受け入れることになります。その上で、必要があれば、病棟への入院患者の入院制限を行なったり、病棟閉鎖に至る場合もあります。
他施設の過去の事例をみれば、MRSA感染症での死亡症例が生じたために謝罪会見をして、長期間病棟の閉鎖に至りニュースになっているものもありました。しかし、MRSA感染症自体は病床数の多いNICUではどこでも起こりうるものですし、この事態が単純に医療事故とか医療スタッフの怠慢で生じた特異な例とは思えません。
もちろん患者さんのご家族にしたら受け入れられるものではありませんし、感染症とはならなくても、保菌しただけでも不安に思われる方も多くいることでしょう。なんとかしたいと思う反面、医療従事者の努力で解決できる範囲を超えているのではと感じることさえあります。ただ我々としては、このような赤ちゃんが出ることがないように、出来ることを粛々と続けるしかありません。
MRSAを保菌して退院する赤ちゃんへ
最近はNICUに入院していた赤ちゃんに限らず、一般の方の中にもMRSAを保菌している人が散見されるようになりました。繰り返しになりますが、通常健康な人にMRSA感染症が生じることはほとんどなく、こどもの感染症で比較的ありうるのは”飛び火”くらいかなと思います。
何にせよ、NICUを退院する状態でのMRSAの保菌について過剰に心配する必要はありません。基本的に集団生活(保育園など)もなんら問題はありませんし、特別な状況を除けば人に菌を誰かに伝搬してしまうかもと過剰に心配する必要もないと考えて下さい。
でも、一応MRSAを保菌しているという情報はご家族が把握しておく必要はあると思います。万が一何かの感染症を起こした場合に原因菌として推測することにつながる可能性がありますから…。状況に応じて診療を受ける医療機関に伝えた方が良い場合はあると思います。
新生児科医の本音
本記事ではNICUでMRSAがどのように考えられているか、新生児科医の立場を紹介しました。基本的に保菌状態のみで問題になることはないとはいえ、未熟児などの重症児にとっては、やはり好ましくない事態であることは間違いありません。少し治療方針にも影響を与えうるというのが新生児科医の本音です(基本的に様々な疾病リスクをどのように総合的に判断していくのかというのが未熟児医療の原則と思っていますので・・・・)。
一方で、まじめに感染対策をしていても、いったん流行が生じるとなかなか収束させるのが難しいというのが現状です。やはり、赤ちゃんやそのご家族に不利益が生じることがないように最大限の努力をしていくしかないのだと思います。