僕は神様じゃないのに

一般的に、小児科はに立ち会う機会が少ない科です。

もちろん小児科の中にも色々な分野があって、を経験する機会が比較的多い分野もありますが、おじいちゃんやおばあちゃんを担当する科とは異なり、よく人が亡くなる状況に立ち会う機会があるという科ではありません。

しかも、僕が医師になった頃は、まだ今の研修制度というものがありませんでした。

学生の時の実習を別にすれば、医師になってから、内科や外科の研修を行うことはなく、担当患者さんが亡くなるという経験はほとんどないまま小児科医になりました。

ただ僕が勤務するNICUは、小児科の中では比較的そのような機会が多い場所です。

とても小さく生まれた未熟な赤ちゃん、染色体異常や生まれつきの重大な病気を持って生まれた赤ちゃんなどは、病気にもよりますが、一定の頻度で救命できない場合があります。

それだけではありません。

時に妊娠経過から特に問題が指摘されてこなかったような児でも、お腹の中や分娩時の状況によっては、亡くなったり、生涯にわたる後遺症を残してしまうような場合も残念ながらあるのが現状です。

その中には、発達の問題や脳性麻痺などを生じてしまう場合もありますし、生涯寝たきりとなるような児さえいます。

分娩は母児ともに、命がけであることを僕たちは経験として実感しています。

小児科医(NICUに勤務する新生児科医)は、生まれた時にサポートが必要な赤ちゃんを蘇生する必要に迫られることがよくあります。

軽症な児を含めれば、このような仮死状態で生まれてくる赤ちゃんは稀ではありませんが、多くは蘇生に反応して元気になります。

時に人工呼吸器の使用を含む集中管理や、一時的に多くの治療を要する赤ちゃんがいますが、出生時の赤ちゃんの状態が非常に悪い児を除けば、長期的な重大な問題は起こらないことのほうが多いのではないかと思います。

そのような将来が予想される児では、なんら悩むことなく、一点の曇りもなく全力をつくして蘇生するだけです。

ただ、とても重症な状態が予想され、”死”や重大な後遺症を回避できないのではないかと、推測できてしまうような児もいます。

救命の可能性がすこしでもあれば、全力を尽くして蘇生するというのはもちろん原則なのですが、脳性麻痺で寝たきりになった児を多く見てきた自分にとっては、後で振り返って本当に良かったのだろうかと思い悩むことがあります。

もう少し蘇生を続ければこの子の心臓は動き出すかもしれない、でも重大な後遺症がすでに回避できないと予測できてしまったり、寝たきりになってしまう可能性が高いかもしれないと感じる場合もあります。

もしかしたら、救命できてもつらい思いをさせるだけさせて、一週間とかで亡くなってしまうかもしれない…と考えることもあります。

そして、「この蘇生は本当に家族を幸せにするのだろうか」とか、そもそもこれから起こりうる試練を知っても、本人(=赤ちゃん)は「生きたい」と思うだろうか、とか……思い悩むのです。

でもそう考えることは、今必死で生きている障害のある児やそれを支える家族の人生を否定することになるのかもしれない、寝たきりの子に生きる価値がないと暗に考えているようで、なんだか嫌な気持ちになります。

それに赤ちゃんは自分の意思を示すことはできない、だから親権者がいるわけだけれど、赤ちゃんにも生きる権利はあるわけで、小児科医の立場としては、赤ちゃんの生きる権利が不当に奪われることは避けなくてはならない、ご家族が仮に受け入れるのが非常に難しかったとしても、もし赤ちゃんが生きたいと考えているのであれば、それに寄り添うのが小児科医の役割なのではなのかもしれないと思うこともあります。

そもそも、重症かもしれない、重大な後遺症を避けられないというのも、あくまでも予測であって本当にそうなるかはわかりません。

予想に反してさほど悪くないということもあり得ない話ではないし、たった10〜20分程度の蘇生の最中に判断しなくてはならないのですから、判断ミスが生じないとも限りません。

僕は神様じゃないから、この子の将来を完全に予見することはできない、今蘇生をやめる権利が本当に僕にあるのだろうか

は神様じゃないのに、この子の命の灯火を僕の意思で消すことになってもよいのだろうか

きちんとした答えも出ないまま、そのような日常はまた突然に訪れ、そしてまた感じるのです。

「僕は神様じゃないのに」と。

新生児心肺蘇生のガイドラインでは蘇生の差し控えについつ下記のような記載があります。

在胎期間、出生体重、先天奇形から早期死亡や受け入れがたい重篤な転帰がほぼ確実に予 測されるときには、蘇生を差し控えるのは論理的である。その他の状況では、ほぼ常に蘇生 を実施する。生存できるかどうかの境界で、比較的高い確率で重篤な後遺症が発生する可能 性があり、児の負担が強い状況では、両親の蘇生への考え方が尊重されるべきである(Class I)。

ただこのような事例は急にやってくることも多いので、ご家族と話し合いをもつ時間などないこともしばしばあります。

同ガイドラインの蘇生の中止の項には、以下のような記載があります。

比較的少数の新生児の報告(LOE 4152, 153)によると、出生直後から 10 分経過しても心拍がな い児は、死亡するか、高度な神経学的後遺症が残る可能性が高い。多くのこの種の研究には 重大な選択バイアスがあるか、または実際これらに含まれる児が“質のよい蘇生”を受けた のかは不明である。新生児の ROSC 後低体温療法に関する最近の RCT(LOE 4154)では、出生後に 心拍が感知されない児で、生後 10 分経っても循環回復がない少数の生存者の中にも、重大な 神経学的後遺症なしに生存する事例があることを示しているが、これを一般化するためのエ ビデンスは十分ではない。

生後 10 分間一度も心拍を感知し得なかった新生児は、そこで蘇生中止を考慮してもよい (Class IIb)。児が 10 分以上にわたって心拍数が 0 のときに、蘇生努力を継続するという決 定は、心停止の考えられる原因、在胎期間、状況の可逆性、予想される転帰に対する両親の 考え方などを考慮してなされるべきである(Class I)。

結局、新生児科医に委ねられる部分は多いんですよね。

きっと明確な答えはでないんだろうな・・・

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です